Knowing More About
油彩個展「存在の残響、筆のはからい」& 小島 祐一
しっかりとした筆致、そして絵具づかい。近年の油彩ではあま り見かけなくなったと感じさせるほどの力強さが、小島祐一氏の作品の特徴です。2026年9月12日より、油彩個展「存在の残響、筆のはからい」が神戸・御影のBIOMEにて開催されます。
完成したと感じるときは、
「制作中の画面が強く輝いていると発見した時」
描ききれなかったと感じるときは、
「殆ど常にこの状態ですが、制作画面が弱いと感じられた時」
描きすぎたと感じるときは、
「出来たと思った時には既に一から二手タッチが過ぎている時」
どこまでも素朴で、どこまでも純粋な作品と、その背景にある姿勢がうかがえます。
小島祐一氏との出会いは、2024年5月に開催した、香港在住の坂岡知子氏による絵画個展「香港のアトリエから」にご来廊いただいたことがはじまりでした。その翌年、京都で開催された小島氏の個展にご案内いただき、作品を拝見いたしました。作品そのものだけでなく、描き続けてこられた時間、身近な人物や風景との向き合い方に、感銘を受けました。
小島氏が絵を描きはじめたきっかけは、自転車での日本縦断野宿旅行でした。「この素晴らしい日本の自然を描きたいと切に願ったから」とのことです。
いまも描き続けておられる風景画について伺ったときのお話です。
「先人達が千年超えて田畑を耕し続け 、造成したりして身近な風景が形作られてきました。そこに在る、という存在感や空気感を通じて、モノの哀れや人の人生をも描ききれるようになれた
らいいですね。」

小島氏は、同じ場所を何度も描くことがあるといいます。
「朝夕でも、季節によっても、天候でも、または描き手の心理状態によっても。同じ光景は二度とありません 。」
風景を描くとき、現場で目にした光景と、後から画面に残るもの、どちらを大切にされるのかを伺うと「どちらも尊いです」との答え。
「偶然、想定外に画面に残っている面白いものを大切にすることもあれば、グッと心を掴まれる現場の光景を再現しようと試みることも両方信じます。」と語ってくださいました。
現在は京都にお住まいの小島氏。観光地としての京都ではなく、田畑や道、家並みなど、人々が暮らす場所を多く描かれています。
小島氏が描くのは、ご自身、身近な人々、近所の風景など、日々の暮らしのなかにあるものです。先に大きなテーマや物語を決めるのではなく、目の前にいる人や、その時に見ている景色から描きはじめられます。
描く対象は、あらかじめ決めているときもあれば、目に残ったものからはじまるときもあるそうです。
「決まりごとはありませんが、モチーフ(描く対象)の方から目に飛び込んで来ることもあれば、描いているうちに意図したものとは異なる、想定外のものが立ち現れてくる場合もあります。」
「心を掴まれた時、美しい、面白いと感じたとき。モチーフの方から語りかけてきます。」
人物を描くときに見ているのは、顔のかたちだけではなく、表情、眼差し、姿勢、手の置き方などだといいます。最初に見るものは何かという問いには「その多くは眼差しです。なぜなら眼は心の窓だからです。」との答えでした。
「その人の存在、人生、人格を描ければ最高ですね。眼差しや表情や姿勢を通じて洞察します。」
「時間と空間を共有して頂けるだけで奇跡的なことです。あなたがモデルの確率は80億分の一。さらに今この時にこの場所で顔を
突き合わす確率は想像も出来ない。互いの意思がその奇跡を生み出します。感謝すべき相手です。」

小島氏が油彩を中心に制作を続けておられる理由を伺いました。
「油彩の透明感と深みのある発色が好きなこと、修正しやすいので失敗を恐れずに制作出来ること、そして、尊敬する巨匠の多くが油彩画家だからです。」
「色彩を輝かせ、深みを出すことは油彩画の魅力です。重ねたり削ったり失敗を恐れずに制作を試みることが出来ます。」
制作中には、予定していなかった色や形、線が生まれることがあります。小島氏は、これを“想定外の驚き”と呼んでいます。その驚きを、消したり描き直したりするのではなく、絵のなかで生かしながら筆を進めます。描く前にはわからなかったものを、描きながら見つけていく。それもまた、小島氏の制作の一部です。
小島祐一氏の作品には、その時に見えてしまったもの、抱えてしまったもの、手放せなかったものが、画面にそのまま残っているようにも見えます。

小島祐一 Yuichi Kojima
東京都出身 京都府在住
筑波大学芸術専門学群環境デザイン専攻を卒業後、建設会社の企画設計室に就職。数ヶ月で退職し、自転車にテント、寝袋、自炊道具、スケッチブックを積み、日本各地を巡る旅に出る。
北海道の利尻島・礼文島から沖縄県の与那国島までを旅する中で、画家を志す。
1993 年、建築設計事務所で働きながら、夜間に鷹美術研究所で人体デッサンを学び、1995 年に フィレンツェ国立美術学院(Accademia di belle arti di Firenze)、1997 年にアート・スチューデンツ・リーグ・ オブ・ニューヨーク(Art students league of New York) で学ぶ。
1999年に木曽で木工職人の修業するが、2002 年に嵯峨野に移住、2004 年から鳴滝にて制作活動を行う。




2026年1月以前のインタビュー記事は下記からお願いいたします




















