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日常での気づき、イベントやアーティストについて触れた日々のメモです。
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佐藤幸恵と輪島明子 核光②
「完成は、どこにあるのか」 佐藤幸恵さんは、作品を作り始めるとき、完成形を決めないことが多いと言います。 要素を足す。引く。途中で起きた偶然や失敗も残してみる。そして、その作品が最終的に「在るべき場所」を探していく。これは以前から変わらない制作方法だそうです。 そのことを象徴するような作品があります。 針金の先に古い鍵を付け、一度は作品として完成させたもの。 しかし展示後も違和感が残った。 そこで鍵を外し、バランスを変え、拾った石を取り付けたところ、「あぁ、そういうことだったのか」と思えたのだと言います。最初の構想を実現することが制作なのではなく、作りながら、そのものがどこへ行こうとしているのかを確かめていく。 今回の作品でも、海辺で拾った漂流物や、砂、砂利などが新たに視野に入っています。 今年の春には銚子まで漂流物を探しに出かけました。 時間と海によって変化したものに、自分がどう関わることができるか。それを試しているところだと言います。 輪島明子さんもまた、現在、新しい試みに入っています。 ここ数年は、水や湧き水を扱った作品から、山へ。...
6 日前読了時間: 2分


佐藤幸恵と輪島明子 核光③
「作品になる前のもの」 制作について聞いているのに、話がお二人ともそれぞれ、給水塔や山や畑へ向かっていく。 今回面白かったのは、そんなところでした。 佐藤幸恵さんのアトリエの窓から、近所の団地の給水塔が見えるのだとか。8階ほどの高さがあり、形のバランスや細かな表面が気に入っていた佐藤さん。 ある日、塔全体が工事用の囲いで覆われました。塗り直すのだろうと思っていた。数か月後、囲いが上から外されていく。ところが、そこには何も現れない。塗装工事ではなく、解体工事だったのです。 「手品のように覆われて、そのまま消えてしまった」 佐藤さんは、そのときの感覚を「奇妙な喪失感」と表しました。 今回送られてきた写真にも、囲われた給水塔と、その後の風景があります。 けれど、佐藤さんが何を見て、何に引っ掛かるのかを知る写真として、とても示唆があります。 明確な答えがないものや、意味を簡単には決められないものが好きだとも佐藤さんは書いています。映画を見ても、何かが説明され、解決する物語より、最後まで靄が残るようなものに惹かれる。そうしたものが記憶に残り、やがて作品の芽
6 日前読了時間: 3分


佐藤幸恵と輪島明子 核光①
「ガラスでなければならなかったのか」 ガラスを制作素材として選んだ人に、「なぜガラスなのですか」と尋ねます。答えは、技法の説明になることもあれば、光や透明感についての話になることもあります。 今回のお二人は、少し違いました。 佐藤幸恵さんの場合、始まりは高校生の頃に見たルネ・ラリック展だったとか。それまで佐藤さんにとってガラスは、日常にある透明な器のようなものだったそうです。ところが、ラリックの作品を前にして、ガラスが彫刻的な形を持ち、ひとつの「塊」として存在できることを知ります。 「自分もガラスという素材で何かをしてみたい」 その経験が、現在まで続いています。 実際、佐藤さんの作品を見ると、ガラスは必ずしも透明で、つるりとした素材として扱われてはいません。金属、石、陶磁、化石、繊維。異なるものと組み合わされ、ときには表面が曇り、色が重なったり、ガラスの中に閉じ込められたり、融合している様な物体としてそこに現れます。今回の制作では、砂や砂利も試しているそう。 今春に銚子へ漂流物を探し。まだ作品に取り入れられている物は少ないですが、時間と海によって
6 日前読了時間: 3分


小島祐一を8つの作品から見る Yuichi Kojima Through Eight Works
現在開催中の個展『存在の残響、筆のはからい』から、BIOMEがあらためてご覧いただきたい8作品を選びました。 From the current solo exhibition “Sonzai no Zankyō, Fude no Hakarai” (Echoes of Presence, The Workings of the Brush), BIOME has selected eight works that we would like to bring into focus once again. まず、数量的にも圧倒的に多いのが子供の人物像。乳児の頃から少年期まで長きにわたり描き続けています。 Among Kojima’s works, portraits of children are particularly numerous. He has continued to paint them over many years, from infancy through boyhood. 4つの作品を時計回りに見てゆきましょう。 Let u
9月20日読了時間: 8分


小島祐一 インスタレーション
これだけの人間に、一度に囲まれることは、そうありません。 もちろん、ここにいるのはすべて、小島祐一さんが描いた人物です。 大小の人物画が壁の上から床際まで続き、作品と作品の間隔も狭い。顔、顔、顔。その間に身体があり、俯く人がいて、こちらを見る人がいる。 人によっては、圧迫感を覚えるかもしれません。 あるいは、少し怖い、居心地がよくない、さらには嫌悪に近い感覚を持つ人もいるかもしれない。 しかし、それも含めて、この場所には人物画が押し寄せてくるような迫力があります。 小島さんはここ数年、複数の人物画を一つの空間に集積させ、空間全体を一つの作品として見せるインスタレーションを取り入れています。 ただ大量に掛けているわけではありません。 大きな作品と小さな作品をどうぶつけるか。暗い画面のなかに、どこで赤や黄、青を入れるか。顔と顔をどれほど近づけるか。視線の高さをどうずらすか。壁に掛けるだけでなく、床に置く作品をどこに入れるか。 近づけば一人の人物が見え、離れれば何十人もの人間が一つの塊になって迫ってくる。 一枚ずつ鑑賞するときとは、作品の見え方そのもの
9月13日読了時間: 2分


小島祐一 油彩然
月刊『アートコレクターズ』2026年9月号に、小島祐一さんの個展をご紹介いただいています。もうお手に取られましたでしょうか。 今号の特集は「猫は最高傑作である」。 その誌面の冒頭で、小島さんの作品について、「現代の油彩画ではあまり見られないような堅牢な筆致」と紹介されていました。 この一文に得心したといいますか、実作を見たときの感覚を言葉にするとこうなるのかと、感心してしまいました。 油彩にも、時代ごとの流れがあります。アーティストのこだわりや癖が出る部分でもあります。軽やかなもの、画面を薄く保つもの、イメージとしてさらりと処理されるもの。もちろん、それぞれに現在の絵画としてのあり方があります。 けれど、小島さんの油彩は、そこから離れた場所にあるように感じていました。 どこの誰にも邪魔されない確たる世界が、観る者の胸を打つ。涙される方もいるというのも、うなずけるのです。 画面の前に立つよりも先に、ギャラリーに入った瞬間に度肝を抜かれるようなご案内をしていますので、詳しくは控えましょう。 Ⓒ小島祐一「嵯峨野の冬」 小島さんの作品を目の前にすると、絵
9月10日読了時間: 2分


葉明慧 手の気配
わぁー、この作品、どこを持とう。 葉明慧さんの花びらの作品を見ると、まずそんなことを思ってしまいます。 小さな花びらが、一枚いちまい彼女の指先から生まれ、土肌に張り付けられているのです。 そっと触れて、目を閉じて指先の感触だけを確かめてみると、これがまた面白い。 そういえば、2022年の「たからもの for おくりもの」に出品された作品にも、すでにその片鱗は見えていました。 たからものforおくりもの展覧会出店の作品 搬入のあと、葉さんから、目の疲れと腱鞘炎でずいぶん苦しんだと伺いました。それはそうだろうな、と納得します。今回も、人気が集まったのはやはりこの花びらのシリーズでした。けれど、今回の展覧会では、ほかにもぜひ見ていただきたい作品が揃っています。 土の中から出てきたものなのか。ずっと昔からそこにあった土器なのか。 素焼きのような色、ところどころ焦げたようにも見える茶や黒。どこか民族的でもあり、野生味もある。 それでいて、姿はとても端正です。 葉さんは、この茶系の作品について、こう話しています。 「暗めの茶系作品の土台にあるのは、土器やアン
8月29日読了時間: 3分


中島美静 手の気配
生活の中で、不安定なものがあると、人は落ち着かない気持ちになりがちです。 几帳面な人なら、額が少し傾いていたり、整然と並んだものの中にひとつ乱れがあったりすると、つい目についてしまうこともあるでしょう。 ところが、不安定なもの、動くものが、いつも不安を誘うわけではありません。 行儀悪く床に寝転がっていたら、窓から入った風でカーテンがふわりと持ち上がる。焚き火や暖炉の炎が揺れる、流れる小川が、石か何かで規則的ではない流れを見せる。そんな柔らかな動きには、不安より、むしろ安寧を覚えることがあります。 2022年の「たからもの for おくりもの」で、中島美静さんが出品されたのは酒器のセットでした。 そのときの注器は、比較的どっしりとした、落ち着いたかたちをしていました。 近年、中島さんの作品を並べていると、冒頭で触れたような、心地よい揺らぎを誘うものが多くなっています。底がほんの少し丸みを帯びていたり、高台を持たなかったり。 目の前の器が、わずかに揺れる。 正面を決めて眺めていたはずなのに、少し横へ移動すると、また違う面が現れます。 そして、中島さん
8月29日読了時間: 3分


2026年暑い夏に考える、またあのこと
ギャラリーとは、そもそも何をする場所なのだろう。 相変わらず、「なんなんだろう」という課題は、いつも頭をもたげます。 可能な限りアーティストのところへ赴き、短い時間のなかでありったけの洞察を働かせ、展覧会に興味を持っていただく。 そして作品を並べ、お客様に見ていただく。 そこにプライスをつけ、購入いただくこと。 後者まで含めて考えると、ショップとの違いが急にわかりにくくなります。 そして実際、いまのギャラリーには、ショップとしての機能もかなり求められています。 陶や漆、ガラス、木工などを扱えば、その境界はさらに曖昧になります。 器店とギャラリーは、どこが違うのか。 工芸を扱うセレクトショップと、工芸作品を紹介するギャラリーは、何が違うのか。 月並みですが、「gallery」という言葉は、もともと建築のなかの長い通路や、美術品を並べる場所を指してきました。 やがて作品を展示し、人に見せる場所となり、近代以降はアーティストを紹介し、作品を販売する商業ギャラリーとして発達していきます。 日本で使われてきた「画廊」も、基本的にはこうした商業ギャラリーを指
8月9日読了時間: 3分


DMはがきのこと
展覧会の開催が決まると、ギャラリーは早い段階から、アーティストに作品画像の準備を依頼します。 DMを制作するのか、アーティストとギャラリーのどちらが担当するのかを相談し、展覧会を代表する画像を選びます。そこからデザイン、印刷、ウェブサイトへの掲載、ゲストや報道機関への案内へと進みます。 一枚のはがきが届くまでには、アーティストとギャラリーの双方に、相応の準備があります。 BIOMEでは、比較的早い時期に、展覧会ごとの紙のDMをやめました。印刷したものが余り、住所不明で返送されてきたはがきを、最後には破棄しなければならない。そのことが、どうにも忍びなかったからです。 展覧会の案内は、DMの形式を維持して、ウェブサイト、メールマガジン、SNSにて利活用しました。ただ、5月に御影へ移転した今年は、新しい場所のお知らせも兼ねて、紙のDMを一時的に復活させています。 久しぶりに制作してみると、紙には紙の存在感があることも、あらためて感じます。日本ダイレクトメール協会の「DMメディア実態調査2024」では、本人宛てDMの74.3%が開封または閲読され、20.
7月29日読了時間: 3分


木下めいこ③ ひかりのとき
中央塔が最終高に達したことで、今年あらためて話題となっているサグラダ・ファミリアでは、入場する時間帯を選ぶ楽しみがあります。 朝は東側の生誕のファサード側から青・緑系の光が入り、午後から夕方には西側の受難のファサード側から赤・オレンジ系の光が入ることでも知られています。 一方、一般的なギャラリーで、どの時間帯に見るかまで考えて来られる方は、あまり多くないかもしれません。 夕暮れのひまわり ところで、設営のとき、木下さんは会場を見ながら、窓まわりについても気にされていました。可動壁で窓をすべて覆うのではなく、窓が見える部分を残してほしい、と言われました。外とのつながりが残るようにしたい。その判断が、いかにも木下さんらしいと思うのです。「GARDEN」という個展タイトルが、花のためだけにあるのではないことも、そこに表れています。 これまで大きくご紹介していない作品の中に、孔雀の作品があります。 これが、実に華やかです。孔雀や人喰鳥という題材そのものに装飾性があります。羽の色、金泥や銀泥の光、画面の密度をあげます。近づくと細部が目に入り、少し離れると画
7月12日読了時間: 2分


木下めいこ② 二つの視点で
現代の日本画に注目しています。師弟制度が色濃かった陶や磁やガラスに見受けられていた「○○でなければならぬ」というところが少なからず、顔をのぞかせる世界が、日本画にももしかしたらあったのかもしれない、目に見えない呪縛と言いますか。 絵画は描かれているものだけでなく、何に描かれているのか、どのような手順で画面が作られているのかに目を向けると、作品の見え方はどんどん変わります。 例えば、木下めいこさんの作品では、二つのものに注目してみようと思います。杉板という支持体とサイアノタイプという技法。 杉板は、古くは杉戸絵などにも用いられてきた素材です。杉戸絵は、杉板に絵を描いた間仕切りであり、建築の中に置かれ、日々の移動や視線の中で見られてきました。紙や絹のように均質な面ではなく、杉板には木目があります。年輪があり、節があり、一本の木が成長してきた方向があります。 杉板の木目を横にすることで、時の流れを感じさせると木下さん。 今回取り上げる作品では、その木目が縦ではなく横に用いられています。木が上へ伸びていく方向をそのまま見せるのではなく、横へ流すことで、木
7月8日読了時間: 3分


木下めいこ① ひまわりのような人といっても
「わあ、話に聞いていたより、広くて素敵」 設営のためにBIOMEへやってきた木下めいこさんは、入ってすぐ、思わず声をあげました。 その反応が、すでに木下さんらしいものでした。 壁の位置や作品数を確認する前に、まず場所全体を見る。 今回の展示で大きな課題となっていたのは、屏風をどこに、どのように立てるかということでした。 その最初の一声には、すでに展示の始まりが含まれていたように思います。 BIOME中山手での三人展では、木下さんの大作を十分にご覧いただける展示環境をつくることが難しい部分もありました。 日本画には、屏風、襖、杉戸絵のように、建築とともに見られてきた大きな画面があります。紙や絹に描かれた一点の絵でありながら、見る人の前に広がり、歩く距離や立つ位置まで変えてしまう。木下さんの大作にも、その感覚があります。 今回、BIOMEでの個展では、ひまわりの作品をキービジュアルにしました。 会場でご覧いただくと、まず、その黄色が目に入ると思います。そう見えるように、展示も組み立てています。 ひまわりは、太陽を追う花として知られています。...
7月6日読了時間: 4分


堂前守人③ BIOMEからの推し作品
コーヒーが落ちてゆく時間を贅沢にしてくれそう BIOMEでは初登場となる、堂前守人さんのコーヒードリッパーです。 陶製のドリップ板2枚で、挽いたコーヒー豆を挟むようにして使います。穴が細かいほど抽出はゆっくりになり、味わいも濃く出やすいと言われています。 丸い蓋のかたちも、この道具の魅力のひとつです。急いで淹れる道具というより、少し時間をかけて、コーヒーの時間そのものを楽しんでいただきたい作品です。 何を入れましょうか 小さな六角形の陶器の箱、銀彩陶匣です。 外側には銀彩、内側には堂前守人さんの作品でお馴染みのガラス釉による野花があしらわれています。蓋を開けたとき、内側に小さな景色が現れるような作品です。 本展のなかでも、とくに心に残る一点。本来は数をそろえて、料理の器として使ってみたいところですが、手製の練香や小さなものをおさめる箱としても、よく合うと思います。 人気の黒の削紋 中鉢としてご紹介していますが、丼としても使いやすい器です。 浅く削られた跡が表面に残り、民藝を思わせる力と、影絵のような図案性があります。料理を盛る器でありながら、食卓
6月26日読了時間: 3分


堂前守人 2026② てのひらの陶
陶作品は、写真でもずいぶんと伝わるようになりました。 色、かたち、模様、サイズ。オンラインでも、おおよその情報は見られます。 手に取ってから急に情報が増えてくるのが、堂前作品。 写真に写るのは、その一部です。 文章で懸命に語ることさえ、いまは少しおこがましく思います。 触って使ってみた人にだけわかる部分があるのです。 過去の展覧会で、「てのひら」という言葉を使ったことがあります。それから、陶をいつも傍に置き、てのひらで転がしたり、なでたりすることで心が落ち着く。ある作家のお客様からも、そうしたお話を耳にしたことがあります。 ガラスでも布でもなく、陶であること。 硬く、冷たく、重みがある。けれど手の中に入ると、その人の体温を少しずつ帯びていく。そこに、陶ならではの親密さがあります。 ご自身の器について、かつて「安心して使えて、明るい器が作りたい」と話しています。 とても平易な言葉です。 この「安心して使える」という言葉には、丈夫さや扱いやすさだけでなく、使う人の手に過度な緊張を与えないことも含まれているのだと思います。 だからこそ、このてのひらを通
6月13日読了時間: 2分


堂前守人 2026① 彼のいう時間
堂前守人さんとおめにかかれました。 今回も車で函館から神戸へお越しになりました。山陰を走り、米子を経て神戸へ入られたそうです。設営日に到着されたとき、髪を長くし、後ろで束ねておられ、以前にも増してアーティスト然とした姿に見えました。語調は、いつもと変わりません。穏やかで、ゆっくり。 作品たちは先に到着していました。 堂前さん独特の梱包をほどきながら、「ひさしぶりですね」と心の中で唱え、一つひとつ顔をのぞかせる器たちに、安堵に近いものを感じました。 BIOMEでの個展から、3年の時間が流れていました。 ミニ豆皿。少しずつおかずを載せても、薬味入れでも、箸置きでもアイディア次第。 2024年1月1日夕方、能登地方で発生した令和6年能登半島地震。5か月後の2024年6月3日早朝6時31分頃には、石川県輪島市と珠洲市で最大震度5強を観測する地震がありました。さらに2024年11月26日夜22時47分頃には、石川県西方沖を震源とする地震が発生しました。 大きな天災は、抗うことのできない自然の脅威であるとわかっていても、失った人や物、記憶に向き合う時間を人に
6月8日読了時間: 3分


木内達朗③ 公園は、ただ穏やかな場所ではない
Neighborhood Park。近所の公園。 穏やかでのどかな環境。犬の散歩。ベンチ。木陰。子どもの声。外光や風が頬にあたり気持ちがいい。ああ、心地いいな。 ところが、木内達朗の公園は、そう簡単には休ませてくれません。 木があります。けれどただの背景ではない。画面の中で、かなり大きな顔をしています。枝も、幹も、葉も、こちらが思っているよりずっとインパクト大。 自転車もいる。橋もある。それはともかく、車が入ってくる。バイクもいる。なぜ。 そして、白黒のリボン(きしめん・包帯)のようなものが、意思をもって舞っている。なぜ。公園のはずなのに、二輪四輪車が走り、公園のはずなのに、どこか舞台のようでもある。公園のはずなのに・・・公園って。 「np11」 この「公園のはずなのに」が、今回の作品の面白さだと思います。 木内さんの絵は、アイキャッチとしての力が高い。色も、形も、まず視線をつかむ。車も愛らしい。木もいい。一つひとつはシンプルでわかりやすいのです。しかし、よく観察すると、だんだん穏やかなだけでは済まなくなるのです。 この車は、なぜここにいるのか。
5月21日読了時間: 3分


木内達朗② 木内さんの朗
木内さんのお名前の「ろう」は、郎ではなく、朗です。どこかで、木内さんご自身が念を押しておられたのを記憶しています。たしかに、これは間違えてはいけない。 在廊期間は、大変よい天気に恵まれました。 御影の坂も、阪急沿線の空も、神戸の木々も、少し出来すぎなくらいでした。お名前の「朗」から作品を読もうということではありません。ただ、今回のアクリル画には、明るいだけでは言い切れない明るさがあります。 「np11」npって…とお間抜けにも、木内さんに尋ねたことを悔いている 滞在中にお話しした中で、とりわけ印象に残っているのは、東京と神戸における、イラストレーションや絵画へ向かう教育環境の違いについてでした。BIOMEでも日頃から感じていることがあり、TINY ROUND TABLEを終えたあと、木内さんも近い感想をお持ちなのだと感じました。 絵を描くのが好きな人の、最後の目的は何なのでしょう。 自己満足。人からの賞賛。誰かの手に渡ること。見てもらい、共感を得ること。仕事になること。教えること。続けること。いろいろあります。 ギャラリーにいると、もうひとつ思う
5月18日読了時間: 3分


木内達朗① 木内さんの木
始まった個展の前日の設営日から神戸に滞在した木内さん。在廊中の木内さんと、御影界隈に出かける機会が数度ありました。 電車を待てば、「ゆっくりしていていいなー」 芦屋川駅が近づいてくると、「身内が住んでいた時期があって、数回来たことがありますよ」 歩けば、川にかかる鯉のぼりの風景をパチリ。こちらが通りすぎてしまうものを、木内さんはわりと拾います。 特におもしろかったのは、とある場所でのこと。 山側を見れば緑葉の桜並木をパチリ。海側を見れば松原をパチリ。 「木が好きなんです。神戸の木は、やはり東京とは違いますね」 関西から見る東京の木は、柳と銀杏のイメージ。では、神戸の木は何でしょう。楠でしょうか。それとも、坂道の途中で急に立派な顔をしている、名前を知らない木でしょうか。 まつぼっくりのモクテルとこちらを。 今回の個展「Neighborhood Park」の新作には、たくさんの木が登場します。 ただし、木内さんの木は、図鑑で樹種を当てるための木ではありません。楠です、松です、桜です、というふうには描かれていない。 大きな森のような公園。そこに、車、バ
5月14日読了時間: 3分


Art Basel Hong Kong Report③
速度と重なり ・香港で残ったこと Report①で記載した通り、初日2日間はプレビュー入場であっても、観覧者の層は限定されません。購買を目的とする者、観光的に訪れる者、関係者。それぞれが同じ空間にいます。それもかなりの数です。その結果として生まれる状態。 会話、移動、撮影。同時に進む流れ。視線は一点に留まりにくい。 Art Baselでは、作品ごとに一定の時間を確保できていた印象があります。一方、香港では移動の速度が優先される。視線は流れやすく、疲労も早く感じられます。 壁紙も凝っていた インスタレーションも同様でした。立ち止まって関わるというより、通路の中で目に入る。写真を撮る、少し見る、そのまま次へ進む。そうした見られ方が多かったように思います。 作品の中に入り込むというより、動線の中で処理されていく。結果として、滞在時間は短くなります。会場全体を見ても、同じような振る舞いが繰り返されています。立ち止まることよりも、移動しながら見ることが前提になっているように見えます。 これは優劣ではありません。作品を見る場であると同時に、購入の場でもあり、
3月28日読了時間: 4分


Art Basel Hong Kong Report②
視線が止まるとき 作品単位での検証 Egon Schieleのデッサンでは、周囲の観客と同様に足が止まります。 フェアの中でありながら、美術館に近い緊張。空間が締まる状態。デッサンを実見するのは初めてだったこともあり、高揚感が先行したことも否定できません。隣に並ぶMarc Chagallの作品とあわせ、強い印象。強い引力。 Jordi Alcaraz 同じ場を振り返ると、Jordi Alcaraz。Mayoral Galleryのブースです。 平面と立体の境界が揺らぐ作品。彫刻、ドローイング、絵画を横断する作家。どこか古典的な印象を持ちながら、素材そのものへの関心が前面に出ています。 フレームの中に収まりながら、奥に空間があるというより、素材の歪みや押し出しによって像が成立しているように見えます。絵を見るというより、物の状態を見る感覚。 すぐには理解できない。見ているうちに構造が見えてくる。 その遅れ、視線が留まる理由のひとつです。 Jonny Niesche「Chemical Love」 続いて、Jonny Niesche。「Chemical.
3月28日読了時間: 2分
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