1月の人 宮本敏明
- NORI Kuriyama

- 6 日前
- 読了時間: 2分
写真家、宮本敏明。
彼の口からこぼれ落ちる言葉は、いつも私たちが立っている場所より、少し遠く、そして広い世界に開かれています。経験や知識の量というよりも、長い時間をかけて培われた視線のスケールの違い──そう呼ぶほうが、しっくりくるのかもしれません。

宮本さんは、2023年にBIOMEで個展「イカリエ」を開催しました。30年にわたるパリでの活動を経て、日本へ拠点を戻してから初期の重要な展示でもあり、BIOMEにとっても「写真」という表現を、あらためて捉え直す機会となった個展でした。
準備の過程や、展示をともにつくる時間のなかで感じたのは、絵画や工芸など、これまでBIOMEでご一緒してきた多くのアーティストたちとは、作品の作り込み方や、見せ方の発想が、どこか少し異なるということでした。それは決して優劣やジャンルの違いではなく、「世界とどう距離を取るか」という根本的な姿勢の違いのように思えます。


宮本さんの写真には、強い演出や、見る側を導くための過剰な説明がほとんどありません。モノクロや構図、方法論といった写真表現の常套句に、安易に寄りかかることを避けながら、被写体と対峙する。その態度は、華やかさとは無縁である一方、被写体の奥行きを、静かに、しかし確実にこちらへと差し出してきます。
とりわけ近年、宮本さんが向き合っている「つくる人」を撮るという行為には、長年人を撮り続けてきたからこそ生まれた、迷いや葛藤が含まれているように感じられます。
手が覚えている動き、積み重ねてきた時間、そして言葉にしきれない逡巡までもが、その人の表情として写り込んでしまう。写真とは、そうした“逃げ場のない瞬間”を引き受けてしまう表現なのだと、あらためて気づかされます。
BIOMEのブログでは、これまで宮本敏明の言葉や思考の断片を、折に触れて記録してきました。制作に対する疑問、写真という表現への違和感、そして現在たどり着いている、できるだけシンプルな選択。それらは、展示作品を補足する解説というよりも、写真の背後で、音もなく呼吸している思考の痕跡のようなものです。
BIOMEの中山手最後の展覧会としてに開催される「ポートレート つくるひと」を前に、あるいは鑑賞のあとに。
作品と少し距離を置きながら、言葉を通してもう一度写真に向き合ってみるのも、ひとつの入り口になるかもしれません。
過去のブログは、こちらからご覧いただけます。
宮本敏明ポートレート展「つくるひと」たからものforおくりもの2026 Special版
2026年01月10日(土)-01月31日(土)
12:00−17:30
最終日 12:00−16:00
休廊日 水曜・木曜・金曜日

