「できる」ことと、「美しい」ことは別の話 <その1>
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更新日:7 時間前
仕事の仕方の美しさについて、考えたりすることがあります。もしかしたら、このような内容のブログは何度も書いたかもしれません。
日々さまざまな仕事(ぶり)に触れていると、「あぁ美しいな」と思わされる瞬間があります。結果が優れているとか、成果が大きいとか、そういう話ではありません。仕事の運び方や判断の置き方、その全体のかたちに、自然と目が留まるのです。自分にとっての関心は、だいたいいつもそこにあるようです。
「プロフェッショナル」という言葉は、そのような場面でしばしば使われています。日本で固有の意味をもってしまった部分もありますけれど。でも、そもそも、その語で定義する必要があるのか、という疑問のほうが先に立ちます。
英語で考えると、この違和感はもう少し整理しやすいでしょうか。(個人的な意見です)
専門家 → expert / specialist
:知識や経験の蓄積を指す言葉であって、仕事の仕方そのものを評価する語ではない。
資格保持者 → licensed / certified
:制度上の承認であり、一定の水準や責任範囲を示すもの。
職業人 → professional
:本来は職業として従事しているかどうかを分ける区分語に近く、日本語で使われるほどの含みや情緒はない。
つまり、専門性、資格、職業性はそれぞれ別の軸にあり、日々の仕事のなかで向けている感心するような意味合いとは、少し離れた場所にあるようです。

たとえば、Excel。
これまた以前も書いたことがありますが、今や多くの人が使えるツールで、努力すれば相当な分析や整理ができる。同じデータ、同じ数値、同じ結果。ここまでは、誰がやっても大きな差は出ない。けれど、どの関数を選び、どういう順序で組み、元データをどう扱い、他人が触ったときにどこまで迷わず使えるか、保存や更新のルールがどう設計されているか。
そこまで目を向けると、驚くほど差が出ていることに気づきます。
計算結果が正しい、というだけではない。ファイルそのものが整理され、構造が明確で、触る側の負担が極端に少ない。その状態を前にすると、「すごい」より先に「美しいな」と思ってしまう。これは expert かどうかの話ではありません。
判断の痕跡が、そのまま仕事の形になっているかどうか、という話なのです。
