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「できる」ことと、「美しい」ことは別の話 <その2>

  • 19 時間前
  • 読了時間: 2分

身悶えするほど、美しいと感じる仕事は尊敬や信頼につながっていくのは当然の流れです。

まだこのお話は続きます。


あるアーティストから届いた作品画像データ。そのダウンロードに、一時間近くかかったことがあります。イラストレーターでもあることから、出版社とのやりとりもこんな場面は多いのだろうとは想像がつきますが、通常の感覚でいえば明らかに過剰。


けれど、その解像度、色の再現性、細部の鮮明さを目にすると、なぜそうなっているのかがわかってしまう。必要最低限ではなく、求められてもいない「その先」まで整えられている。結果として、受け取る側は一切の疑問を挟む余地がない。

効率が良い、という言葉では説明しきれない。そこにあるのは、判断が積み重ねられた結果としての美しさです。


さらにまだあるのです、似た関心を覚える場面が。

文章の構成が整理され、読み返す必要がないメール。

日本語で綴られた文章は端正で、気取りもない。読み進めるうちに、「そこまでやり込める必要もないほどこちらは有利である」とか、「そうなると一人の課題ではなくなる」などといった考えに、自然と導かれていることに気づかされる。


温泉の着替え場に整然と並べられたかご
温泉の着替え場に整然と並べられたかご

技術として誇示されることはないのに、こちらの思考を余計に消耗させない。その点に、思わず目を留めてしまう。


ながながと「美しい仕事コレクション」をご紹介しましたが、いずれも、特別な才能がなければできないわけではないと思います。

けれど、そこまでやるかどうかは判断の問題で、その判断が積み重なった結果として現れる仕事のあり方を前にしたとき、「美しいな」と思えるかどうか。

自分にとっての関心は、そこに尽きます。


professional という言葉を使わなくても、expert や specialist といった語に置き換えなくても、美しさを感じる仕事は、確かに存在しています。

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