BIOME観察ノート①
- 3月15日
- 読了時間: 2分
一枚の絵の研究:イラストレーションと絵画の境界
一枚の絵を前にしたとき。
それが絵画なのか、イラストレーションなのかは、見た目だけでは決まりません。描かれている対象や画材、技法の違いで分けられるものでもないように思います。
近年はとくに、その境界が見えにくくなりました。
出版や広告の仕事を通して広く知られる作家が、展示空間で強い存在感を持つ作品を発表することもありますし、反対に、美術の領域で語られてきた作家が別の媒体へ自然に接続していくこともあります。表現だけを見れば似ている場面は珍しくありません。
日本での美術史において、こんな”課題”、ほんの数年の議論でしかないでしょう。
それでも、BIOMEで考えたいのは、どのように描かれているかよりも、どのような条件でその作品が生まれたのかという点です。
・誰かの依頼に応じて制作されたものなのか。まず使われることが前提にあるのか。それとも、用途とは切り離されて、作品としてそこに置かれることに耐えるのか。その違いは見た目以上に大きいものです。
・もう一つは、どこで価値づけられるのかという問題です。
編集や広告、出版の回路の中で働くのか。それとも展示空間やコレクションの中で、一つの作品として見られるのか。どちらが優れているという話ではなく、成立の仕方が異なるという整理です。
BIOMEが平面作品を見るとき、肩書や画材を先に置くことはしません。イラストレーターだから不可、画家だから可という単純な線引きでもありません。
自律して制作されたものか。展示空間で意味を保てるか。
売れるかどうかとは別に、作品として成立しているか。その順で考えています。
境界は曖昧。しかし曖昧なままでよいのは表現の側であって、選ぶ側の判断まで曖昧にしてしまうと、説明も展示も弱くなります。
一枚の絵を前にしたとき、何を見ているのか。この問いから、すべてが始まります。
左は「鳥かご」で油彩。右は今回個展で発表するアクリル画。いずれも木内達朗氏の作品。
「鳥かご」は、重松清著『青い鳥』の装画として描かれたもの・・・・




