BIOME観察ノート④
- 3月22日
- 読了時間: 3分
残る作品の研究:作品に求めている条件
作品を見るとき、BIOMEではまず好みから入りません。
いえ、たしかに好きかどうかという感覚は、大きく作用することは否めません。けれど、それだけでは判断の軸として十分ではないと思うから。
先に確認するのは、その作品、アーティストがこれから創作する作品がどのような条件で成立しているか(ゆくか)という点です。
自律して制作されているか。展示空間に置かれたとき、その場限りの装飾にならず意味を保てるか。売買の結果とは別に、作品として存在し続ける前提があるか。おおよそこの三点を確認しています。
これは作家の肩書や知名度で決まるものではありません。
画家であっても制作条件が外部の要請に強く依存していれば展示として成立しにくい場合があります。うーむ、難しいな、語弊があってもいけませんので、仔細な説明は割愛しましょう。反対に別の領域で活動している人であっても、自律した制作が続いているなら十分に検討対象になります。名称ではなく成立の仕方を見るということです。
あくまでも、BIOMEのことです。続けます。
もう一つ重要なのは、時間を経ても作品として見直すことができるかどうか。
会期が終わったあとも作品そのものが残ること。場所が変わっても、別の枠組みの中で、再び展示されうること。その条件があるかどうかで扱い方は大きく変わります。もしかしたら、それは作品そのもののことではなく、アーティストの取り組み方なのかもしれませんね。
作品は偶然の産物ではなく、制作の中で積み重ねられた判断の結果といつも興味深く、そして感謝して見つめています。色を選ぶこと、形を決めること、どこで終えるかを決めること。その一つひとつが選択であり、その連続が作品を形づくります。BIOMEが見ているのは、そうした判断の積み重ねが作品の中に残っているか、少なくともBIOMEが読み取れるかどうかであったりします。
現在、作家から直接作品を扱うプライマリーのギャラリーです。
そのため作品を見るときも、制作の条件と成立の構造を先に確認します。残る作品とは、時間の中で繰り返し見直されるだけの判断の積み重ねを持つ作品のことだと思うのです。
少し話は大きいのですが、私たちが美術館で恭しく展示される巨匠の作品たちを、彼らの歴史の一部として、あるいは歴史そのものとして、観察することができるのは、彼らがそうやって判断を積み重ねてきてくれたからこそ、と思います。
この作品たちは「栞・枝折」を共通テーマに漆作家に提案していただいたもの。
左上から横に、八代淳子・浅野絵莉・黒木紗世・田中若葉の表現です。
試行錯誤をしてくれただろうと思います。








