佐藤幸恵と輪島明子 核光③
「作品になる前のもの」
制作について聞いているのに、話がお二人ともそれぞれ、給水塔や山や畑へ向かっていく。
今回面白かったのは、そんなところでした。
佐藤幸恵さんのアトリエの窓から、近所の団地の給水塔が見えるのだとか。8階ほどの高さがあり、形のバランスや細かな表面が気に入っていた佐藤さん。
ある日、塔全体が工事用の囲いで覆われました。塗り直すのだろうと思っていた。数か月後、囲いが上から外されていく。ところが、そこには何も現れない。塗装工事ではなく、解体工事だったのです。
「手品のように覆われて、そのまま消えてしまった」
佐藤さんは、そのときの感覚を「奇妙な喪失感」と表しました。
今回送られてきた写真にも、囲われた給水塔と、その後の風景があります。
けれど、佐藤さんが何を見て、何に引っ掛かるのかを知る写真として、とても示唆があります。
明確な答えがないものや、意味を簡単には決められないものが好きだとも佐藤さんは書いています。映画を見ても、何かが説明され、解決する物語より、最後まで靄が残るようなものに惹かれる。そうしたものが記憶に残り、やがて作品の芽になるのだと言います。
団地の給水塔 before&during(佐藤幸恵)
輪島明子さんの日常は、かなり動的な印象が残ります。
自宅の隣には共同農園があり、野菜や果樹を育てる。薪ストーブのために廃材を集める。ランニングをし、トレイルランの大会にも出る。季節ごとに山へ入り、キャンプにも行く。
「富山の自然が豊かすぎて毎週末忙しい」と話す輪島さんは、おそらく制作にも耐えるべく体力作りにも余念がなく、また強い精神力を保つ意味でも、アクティブな日常を送られているのだと感じます。
送っていただいた写真にも、それがよく表れています。
畑。川。馬。山の稜線。空。そして梨。
2023年から2024年に扱っていた水や湧き水と、その後の山の作品について、水は山から生まれ、山から見る景色にもつながっている。暮らしの中で触れている自然と、作品の題材が完全に分かれているわけではないのでしょう。むしろ、分ける方が無理があります。
(画像提供:輪島明子)
佐藤さんは、観光地ではない知らない場所を歩きたいと言います。
何かを目的にするのではなく、ただ歩き、空を見て、取り止めのないことを考えたい。
輪島さんは、山を歩き、畑を耕し、火を焚き、身体を動かす。
けれど二人とも、作品を作っていない時間を、制作とは無関係な時間とは考えていないように見えます。
今回の展覧会タイトルは『核光』。
「核」という言葉から何を見るか。「光」という言葉から何を見るか。
それは完成したガラスの内部だけにあるものではありません。
海辺で拾われたもの。窓から毎日見ていた塔。山の稜線。畑の土。川の水。子どもの頃に集めたビー玉。
作品になるずっと前から、自分の中に蓄積されているもの。言葉では語らずとも心に残り、いつしか、芯のように育っていったそんなもの。
『核光』では、ガラスの表面だけではなく、その手前にあった時間まで想像して見ていただければと思います。
佐藤幸恵・輪島明子葉
ガラス二人展「核光 -ガラスの中心で-」
10月10日(土)ー11月01日(日)
12:00−17:30
最終日:12:00ー15:00
休廊日:水曜・木曜日


