Art Basel in Basel④
- NORI Kuriyama

- 7月4日
- 読了時間: 2分
第三部:
アートの価値と自分
特に印象的だったのは、アーティストやギャラリストが自作の魅力やコンセプトについて積極的に語る姿でした。「作品への愛情と自信」が、ここでは自然に表現されています。
観客やコレクターとの対話も活発で、その場で作品の価値や意味が能動的に形成されていく様子が見て取れました。アーティストは美術に関する学びや技術の経験に関わらず、熱心に語りかけてきます。これには、日本人の控えめな姿勢と対照的な印象を受けました。
左上から右回りで。Domenico Blanchi ”Untitled” Inlay in onyx(Iran)and sodalite( Namibia)/ メモ失念/ Afro ”Giallo limone,1958”/ Rhea Dillon「Learning Figures」
アートフェアへの積極的な参加意欲は依然として強くはありませんが、「対峙する取引環境」には新鮮な発見がありました。もし出展する場合、購買層や会場特性を踏まえた戦略が必須であるのはもちろん、具体的なフィージビリティプラン(アーティスト名や作品名の選定)を構想する面白さも疑似的に体験できました。また、付加価値の見せ方についても考えさせられる機会となりました。
ただ、アートフェアへの参加意欲はむしろ薄れてしまい、現時点ではフェアそのものに強い関心が持てないことを再認識しています。活動の本質とは感じられません。ただ、アートフェアが部分的にお祭りのような雰囲気を持つことで、一般の人々とアートの距離が縮まるのであれば、それ自体は悪いことではないとも思います。
2025年から新設されたアートバーゼルアワードは、「アーティストのみならず、アートを支えるエコシステム全体」を評価対象に含めています(Art Basel, 2025)。このような動きは、アートの価値が単なる作品の売買だけでなく、広範なネットワークや支援体制に支えられていることを示唆しており、相応の規模がなければ実現できないでしょうね。
アートバーゼルは多額の資金や人脈が動き、しばらくの間は特定の人物やコミュニティの声が大きく関与し響くイベントであることは否めません。その点は、時に興ざめする部分でもあります。
企業協賛が限られる中で、アートフェアの社会的意義や可能性は認めつつも、現時点ではその熱気や価値観が本質的に響かないことを再認識しました。今はBIOMEの力や、BIOMEとしての価値を見極めとしての、アートフェアへの参加意義の答えなのでしょう。
【参考文献】








