top of page

小島祐一 油彩然

9月10日
読了時間: 2分

月刊『アートコレクターズ』2026年9月号に、小島祐一さんの個展をご紹介いただいています。もうお手に取られましたでしょうか。

今号の特集は「猫は最高傑作である」。


その誌面の冒頭で、小島さんの作品について、「現代の油彩画ではあまり見られないような堅牢な筆致」と紹介されていました。


この一文に得心したといいますか、実作を見たときの感覚を言葉にするとこうなるのかと、感心してしまいました。


油彩にも、時代ごとの流れがあります。アーティストのこだわりや癖が出る部分でもあります。軽やかなもの、画面を薄く保つもの、イメージとしてさらりと処理されるもの。もちろん、それぞれに現在の絵画としてのあり方があります。

けれど、小島さんの油彩は、そこから離れた場所にあるように感じていました。


どこの誰にも邪魔されない確たる世界が、観る者の胸を打つ。涙される方もいるというのも、うなずけるのです。


画面の前に立つよりも先に、ギャラリーに入った瞬間に度肝を抜かれるようなご案内をしていますので、詳しくは控えましょう。

Ⓒ小島祐一「嵯峨野の冬」
Ⓒ小島祐一「嵯峨野の冬」

小島さんの作品を目の前にすると、絵具がただ色として置かれているのではなく、対象と何度も向き合った時間の跡として見えてきます。描き直しも、濁りも、筆の迷いも、画面を弱めるものではなく、その絵が簡単には消えないための要素になっています。

だから、見応えがあるのだと思います。


一方で、小島さん本人の言葉は、むしろ穏やかです。家族や身近な景色を描いてきたこと。そこにある存在そのものを描きたいということ。言葉になる前の感情に触れてほしいということ。

けれど、作品は、その穏やかな言葉だけでは収まりません。

Ⓒ小島祐一 「少年」
Ⓒ小島祐一 「少年」

人物画には、人を描くことの近さと危うさがあります。風景にも、ただ眺めて心地よい場所というより、そこに長く居続けた人の感覚が残っています。母子や子どもを描いた作品には、見てよいのかと一瞬ためらうほどの近さがあります。

小島さんの絵は、扱いやすい絵ではありません。しかし、扱いやすい絵だけを選んでいると、見落としてしまうものがあります。


今回、BIOMEで小島祐一さんをご紹介したいと思ったのは、そのためです。

この油彩は、軽く通り過ぎることを許してくれない。そして、久しぶりに「油彩を見る」という行為そのものを、こちらに思い出させてくれるのです。



小島祐一 油彩個展

「存在の残響、筆のはからい」

2026年9月12日(土)-10月4日(日)

12:30−18:00

最終日:12:00ー15:00

休廊日:木曜・金曜日​

     *休廊日がいつもと異なりますのでご注意ください。


bottom of page