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日常での気づき、イベントやアーティストについて触れた日々のメモです。
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Art Basel Hong Kong Report③
速度と重なり ・香港で残ったこと Report①で記載した通り、初日2日間はプレビュー入場であっても、観覧者の層は限定されません。購買を目的とする者、観光的に訪れる者、関係者。それぞれが同じ空間にいます。それもかなりの数です。その結果として生まれる状態。 会話、移動、撮影。同時に進む流れ。視線は一点に留まりにくい。 Art Baselでは、作品ごとに一定の時間を確保できていた印象があります。一方、香港では移動の速度が優先される。視線は流れやすく、疲労も早く感じられます。 壁紙も凝っていた インスタレーションも同様でした。立ち止まって関わるというより、通路の中で目に入る。写真を撮る、少し見る、そのまま次へ進む。そうした見られ方が多かったように思います。 作品の中に入り込むというより、動線の中で処理されていく。結果として、滞在時間は短くなります。会場全体を見ても、同じような振る舞いが繰り返されています。立ち止まることよりも、移動しながら見ることが前提になっているように見えます。 これは優劣ではありません。作品を見る場であると同時に、購入の場でもあり、
6 日前読了時間: 4分


Art Basel Hong Kong Report②
視線が止まるとき 作品単位での検証 Egon Schieleのデッサンでは、周囲の観客と同様に足が止まります。 フェアの中でありながら、美術館に近い緊張。空間が締まる状態。デッサンを実見するのは初めてだったこともあり、高揚感が先行したことも否定できません。隣に並ぶMarc Chagallの作品とあわせ、強い印象。強い引力。 Jordi Alcaraz 同じ場を振り返ると、Jordi Alcaraz。Mayoral Galleryのブースです。 平面と立体の境界が揺らぐ作品。彫刻、ドローイング、絵画を横断する作家。どこか古典的な印象を持ちながら、素材そのものへの関心が前面に出ています。 フレームの中に収まりながら、奥に空間があるというより、素材の歪みや押し出しによって像が成立しているように見えます。絵を見るというより、物の状態を見る感覚。 すぐには理解できない。見ているうちに構造が見えてくる。 その遅れ、視線が留まる理由のひとつです。 Jonny Niesche「Chemical Love」 続いて、Jonny Niesche。「Chemical.
6 日前読了時間: 2分


Art Basel HongKong Report①
90分の制約 ・何を見ず、何を見るのか 3月25日、16時。Art Basel Hong Kong 2026のプレビューに入場します。 VIP時間帯とはいえ、すでに多くの足跡が残されている状態。初見というより、流れの中に入る感覚に近いものがあります。さらに上位のVIP枠では、主要な取引はすでに終わっています。初日の有料プレビュー入場の段階でさえ、足跡の空気を纏いながら速度が加わることになります。 滞在は90分と決めました。 入口付近のインスタレーションは通過します。フロアマップ上で水色に示された「Insights」セクションからスタート。作品そのものではなく、人の流れ、交渉の状況、視線の動き、滞留の有無。その観察です。 この時期の香港。地政学的な緊張と市場の不確実性の中での開催とされています。アジアは相対的に安定とみなされ、香港がハブとして語られる現在。その前提がどのような条件で支えられているのか。そこを確認するための90分です。 足早に歩く。脳が疲れる前に。 会場構成はホワイトキューブ、グリッド配置、セクション分割。フォーマット自体は昨年訪れた
6 日前読了時間: 2分


BIOME観察ノート⑤
一つのギャラリーの研究:なぜBIOMEを始めたのか BIOMEを始めた理由は一つではありません。 けれど確かなのは、 作品がどのような条件で生まれ、 どのように残るのかを、 自分の判断で扱える場所を持ちたいと思ったことです。 作品には制作の事情があります。展示の事情もあります。評価や流通の仕組みもあります。それらはすでに多くの制度として存在していますが、そのなかで誰が判断しているのかが見えにくくなる場面もあります。 BIOMEでは、作品を展示することと同時に、 その判断の順序を整えることを重視してきました。 平面作品とイラストレーションの違いをどう考えるのか。立体作品をどのような条件で扱うのか。インスタレーションを原則として扱わない理由は何か。これらは個別の問題のように見えますが、すべて判断の順序に関わっています。 ギャラリーは作品を並べる場所であると同時に、判断が積み重なる場所でもあります。 何を展示し、何を展示しないのか。どのような条件で扱うのか。その判断は展示のたびに更新され、次の展示へと引き継がれていってよいものだと思います。...
3月23日読了時間: 2分


BIOME観察ノート④
残る作品の研究:作品に求めている条件 作品を見るとき、BIOMEではまず好みから入りません。 いえ、たしかに好きかどうかという感覚は、大きく作用することは否めません。けれど、それだけでは判断の軸として十分ではないと思うから。 先に確認するのは、その作品、アーティストがこれから創作する作品がどのような条件で成立しているか(ゆくか)という点です。 自律して制作されているか。展示空間に置かれたとき、その場限りの装飾にならず意味を保てるか。売買の結果とは別に、作品として存在し続ける前提があるか。おおよそこの三点を確認しています。 これは作家の肩書や知名度で決まるものではありません。 画家であっても制作条件が外部の要請に強く依存していれば展示として成立しにくい場合があります。うーむ、難しいな、語弊があってもいけませんので、仔細な説明は割愛しましょう。反対に別の領域で活動している人であっても、自律した制作が続いているなら十分に検討対象になります。名称ではなく成立の仕方を見るということです。 あくまでも、BIOMEのことです。続けます。 もう一つ重要なのは、時
3月22日読了時間: 3分


BIOME観察ノート③
置けない作品の研究:インスタレーションを扱わない理由 インスタレーション。空間全体を作品として扱う方法には、平面や単体の立体では届かない力があります。その場所でしか成立しない強さを持つ作品、それはインスタレーション。 それでもBIOMEでは、原則としてインスタレーションを扱っていません。 理由の一つは、作品として残すこと、移動させること、再び展示すること、その一つひとつが難しくなるからです。同じ場所に同じ条件が揃わなければ成立しない作品は、会期が終わったあとに何が作品として残るのかが曖昧になりやすいのです。 作品を扱う以上、展示して終わりではありません。保管、運搬、再設置といったその後の過程まで含めて考える必要があります。そのとき、空間と強く結びつきすぎた作品は、多くの前提を要求します。 BIOMEが優先しているのは、その場を離れても作品として残るもの。会場を変えても、時間が経っても、同じ作品として見直すことができるもの。その条件を備えているかどうかは、扱う側にとっても重要な判断になります。 例外がまったく存在しないわけではありません。単体の要素
3月19日読了時間: 2分


BIOME観察ノート②
用途のない器の研究:工芸とアートのあいだ 器は本来、使うためのもの。盛る、注ぐ、運ぶ。手に取られ、洗われ、また使われる。そうした反復のなかで技術が磨かれ、生活の中に美しさが残っていく。工芸の魅力の多くは、その繰り返しの中にあります。欠けたり、色が落ち着いてしまったり。 しかし形あるもののすべてが用途へ戻っていくわけではありません。 器の姿をしていても、これは使うためのものではないと感じるものがあります。用途ではなく、別の問いを抱えているものがある。そこで初めて、工芸とアートのあいだに線を引く必要が出てくるのではないかと考えています。 BIOMEで立体作品を見るとき、まず確認するのは、使われることが価値を規定しているかどうかです。便利であること、使いやすいこと、反復できることが核になっているのか。それとも用途を離れてなお、単体として残る力を持っているのか。その違いは小さくありません。もちろん用途のあるものに価値がないという話ではありません。むしろ逆で、用途を持つものには用途の強さがあります。生活の中で使われ続けることでしか生まれない厚みがあります。
3月17日読了時間: 2分


BIOME観察ノート①
一枚の絵の研究:イラストレーションと絵画の境界 一枚の絵を前にしたとき。 それが絵画なのか、イラストレーションなのかは、見た目だけでは決まりません。描かれている対象や画材、技法の違いで分けられるものでもないように思います。 近年はとくに、その境界が見えにくくなりました。 出版や広告の仕事を通して広く知られる作家が、展示空間で強い存在感を持つ作品を発表することもありますし、反対に、美術の領域で語られてきた作家が別の媒体へ自然に接続していくこともあります。表現だけを見れば似ている場面は珍しくありません。 日本での美術史において、こんな”課題”、ほんの数年の議論でしかないでしょう。 それでも、BIOMEで考えたいのは、どのように描かれているかよりも、どのような条件でその作品が生まれたのかという点です。 ・誰かの依頼に応じて制作されたものなのか。まず使われることが前提にあるのか。それとも、用途とは切り離されて、作品としてそこに置かれることに耐えるのか。その違いは見た目以上に大きいものです。 ・もう一つは、どこで価値づけられるのかという問題です。...
3月15日読了時間: 2分


キュレーションってなに。 第2回 ギャラリーという自由
BIOMEは、美術館ではなくギャラリーです。この場合はどうでしょうか。 民間ギャラリーには、基本的に収蔵義務がありません。 展示は期間限定で、構成の変更も比較的自由にできます。昨日まで壁に掛かっていた作品が、翌日には別の場所に移動していることもあります。 制度による拘束はかなり少ない。この自由さが、ギャラリーという場所の特徴でもあります。 同時に、展示の方向性は制度ではなく、個人の判断に強く依存します。オーナーやディレクター、あるいは場の中心にいる人物の考え方が、そのまま空間の性質として表れることが多いのもギャラリーの特徴ではないでしょうか。 多くのギャラリーに「カラー」があるのは、そのためです。誰が決めているのかが、そのまま展示に出てくる。 もちろん、だからといってギャラリーが好き勝手に動いているというわけでもありません。 作家との関係、来場者の反応、作品の流通、さまざまな現実の条件が常に関わっています。 ただ、美術館のような制度的な合意の上で展示が決まるわけではない、という点は大きな違いです。 ギャラリーにおけるキュレーションとは、資格や制度
3月6日読了時間: 1分


キュレーションってなに。第1回 制度としてのキュレーション
「キュレーション」という言葉、よく聞くようになりました。 展覧会を組むこと。作品を選ぶこと。あるいは情報をまとめること。便利な言葉なので、いろいろな場面で使われています。 ただ、この言葉の出発点は、もう少し制度的なところにあります。 日本では「学芸員」という資格があり、博物館法に基づいて、資料の収集、保管、調査研究、展示、教育普及などを担う専門職として定められています。 つまり本来のキュレーションは。 作品を「選ぶ仕事」というより、文化資料を長く管理し続ける責任を伴う仕事でした。 何を展示するかだけではなく、どう保存し、どう研究し、どう社会へ公開していくか。時間軸の長い仕事だと思うのです。 ところが現在では、展覧会の構成や、何かを選び取って紹介する行為を広く「キュレーション」と呼ぶことが増えました。 その結果、制度の中での専門職としての意味と、実務的な編集行為としての意味が、同じ言葉の中で並んでいる状態になっています。 悪いことではないと思います。 ただ、「キュレーション」という言葉を聞いたとき、人によって思い浮かべている仕事の中身が、少しずつ違
3月6日読了時間: 1分


「できる」ことと、「美しい」ことは別の話 <その2>
身悶えするほど、美しいと感じる仕事は尊敬や信頼につながっていくのは当然の流れです。 まだこのお話は続きます。 あるアーティストから届いた作品画像データ。そのダウンロードに、一時間近くかかったことがあります。イラストレーターでもあることから、出版社とのやりとりもこんな場面は多いのだろうとは想像がつきますが、通常の感覚でいえば明らかに過剰。 けれど、その解像度、色の再現性、細部の鮮明さを目にすると、なぜそうなっているのかがわかってしまう。必要最低限ではなく、求められてもいない「その先」まで整えられている。結果として、受け取る側は一切の疑問を挟む余地がない。 効率が良い、という言葉では説明しきれない。そこにあるのは、判断が積み重ねられた結果としての美しさです。 さらにまだあるのです、似た関心を覚える場面が。 文章の構成が整理され、読み返す必要がないメール。 日本語で綴られた文章は端正で、気取りもない。読み進めるうちに、「そこまでやり込める必要もないほどこちらは有利である」とか、「そうなると一人の課題ではなくなる」などといった考えに、自然と導かれているこ
2月25日読了時間: 2分


「できる」ことと、「美しい」ことは別の話 <その1>
仕事の仕方の美しさについて、考えたりすることがあります。もしかしたら、このような内容のブログは何度も書いたかもしれません。 日々さまざまな仕事(ぶり)に触れていると、「あぁ美しいな」と思わされる瞬間があります。結果が優れているとか、成果が大きいとか、そういう話ではありません。仕事の運び方や判断の置き方、その全体のかたちに、自然と目が留まるのです。自分にとっての関心は、だいたいいつもそこにあるようです。 「プロフェッショナル」という言葉は、そのような場面でしばしば使われています。日本で固有の意味をもってしまった部分もありますけれど。でも、そもそも、その語で定義する必要があるのか、という疑問のほうが先に立ちます。 英語で考えると、この違和感はもう少し整理しやすいでしょうか。(個人的な意見です) 専門家 → expert / specialist :知識や経験の蓄積を指す言葉であって、仕事の仕方そのものを評価する語ではない。 資格保持者 → licensed / certified :制度上の承認であり、一定の水準や責任範囲を示すもの。 職業人 → p
2月25日読了時間: 2分


2025年 役に立ったものの話
今年「役に立ったもの」を並べてみようと思いました。 ところが、もっと生産的で、もっと誇らしい何かが出てくるはずかと思ったところ、書き出してみると、どれもこじんまりとしていて、少し照れくさいものになってしまいました。 焼酎・ジン(アルコール) 最初に浮かんだのは、焼酎の 青鹿毛 と、オーストリアのクラフトジン STIN 。いずれも飲食店で知った銘柄。 選んだ理由は単純です。蒸留酒なら、ワインやシャンパーニュの量を増やすよりは、多少なりとも体にやさしいのではないか——そんな浅はかな期待から。合理的かどうかは、実にあやしい。でも「今日はこっちにしておこう」と思える逃げ道があるだけで、少し自分に寛容になれる。 大抵は、どちらもソーダで割ります。柑橘類が必須ではありません。どちらも植物(ハーブや穀類)の香りがふわりと漂います。ソーダを1本いただき、好きな濃度にすれば、酔い方のコントロールまでできるんです。お陰で、すっかり甘さが辛くなってしまいました。 ——いや、どう考えても、これは言い訳ですね。 焼酎:青鹿毛(麦焼酎)柳田酒造(宮崎県) ジン:STIN
2025年12月22日読了時間: 4分


ひとりごと 感謝欲について
「感謝欲」。 この言葉について、過去にも触れたことがあるかもしれません。日々の人間関係や仕事の中で、「ありがとう」という言葉や感謝の行動に、私たちは無意識に反応しています。この反応の傾向を「感謝欲」と呼ぶのだと学びました。...
2025年10月2日読了時間: 2分


BIOMEのひとりごと 2025年8月
アートシーンの話題や課題は、人が生きる上で関わる多くの事象に関連しているため、考えが尽きません。例えば、2025年に入ってから、「エコサイクル」という言葉が、アートの文脈でどのように使われているのか調べています。 主に、以下の二つの文脈ではないでしょうか。 一つは、...
2025年8月15日読了時間: 3分


アートの価格(うんざり)
この手のテーマは、過去からさまざまな形で取り上げられています。 私自身は、作陶したり、絵を描いたりする技量を持ち合わせていません。材料に原価があるのは理解できますし、その材料の価格が高下するのもわかります。 さて、一番大切なアーティストの「手」や「脳」を動かす部分の価値をど...
2025年7月6日読了時間: 2分


Art Basel in Basel⑤
余談:怠った予習 スイスは富裕層優遇政策や移住政策など、アートフェアとの親和性が高い国です。シンプルな街並みにアートバーゼルの熱気が交錯する非日常的な風景、そしてイベント後も美術館やギャラリーが企画展を刷新し続けるなど、その波及効果は計り知れません。実際、他の美術館での企画...
2025年7月4日読了時間: 2分


Art Basel in Basel④
第三部: アートの価値と自分 特に印象的だったのは、アーティストやギャラリストが自作の魅力やコンセプトについて積極的に語る姿でした。「作品への愛情と自信」が、ここでは自然に表現されています。 観客やコレクターとの対話も活発で、その場で作品の価値や意味が能動的に形成されていく...
2025年7月4日読了時間: 2分
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